著者の部屋

蜂飼耳 『イワンのむすこ』後記

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ある日、私はささめやゆきさんが描かれた三枚の絵を見せてもらいました。少年、王さま、雲と光。それらにはシリーズとしてタイトルがつけられていました。「イワンのむすこ」です。ひとりの少年が成長し、やがて王となり、欲しいものをみんな手に入れる。

けれども、あるとき、自分が失ってきたものの大きさ気づく瞬間がおとずれる。三枚の絵の背景には、ささめやさんが長年あたためてきた、そんな人生の物語がこめられているとのことでした。これらをヒントとして、契機として、物語を書いてほしい。

私に与えられた役割は『イワンのむすこ』を一編の物語として描き出すことでした。

最初に書いた内容は、ささめやさんから認められませんでした。

「イワンは、無垢なものにふれて自分が失ったものに気づくんです」。

ささめやさんは、小さな声で、けれども強い口調でそう言われました。アトリエには午後の光がやわらかく射していました。私はその瞬間、「無垢な」という一語がまさに無垢な空気のまま出現していることに驚き、返事に窮しました。

そして、しばらくの時間をおいて、まったく別のものを書きました。今度はよしということで、絵の制作がはじまりました。

それから五年。一枚一枚、絵は仕上げられていきました。イワンがなぜイワンなのか、じつは私にもわからないのです。

イワンではなく別の名前にしたほうがいいのではないか。途中の段階で、そんな提案をしたこともありましたが、「もし名前を変えるなら絵もぜんぶやり直し」とのことで、この名前にはささめやさんの並々ならぬ思い入れがあることがわかりました。

それならば、といちばん最初に見せてもらったシリーズのタイトルに従って、イワンのままとなりました。イワンという名前にささめやさんが託しているイメージには、継続、継承といったものがあるのではないかと、いまでは漠然と感じています。

ささめやさんから与えられた物語の核「無垢なものにふれて自分が失ったものに気づく」ことを、物語にするのは簡単ではありませんでした。なぜなら、それを一人の人物の人生に置きかえて一直線に描くと、ずいぶんと嘘っぽい感じになってしまうからです。

とはいえ、生きているあいだには、そういうことがないというのではありません。むしろ、そういうことはあるのです。自分以外のだれにも気づかれない、外側からは見えない内面の出来事として起こるのです。

それこそ、人生をまとめて遡ってしまうほどの、無垢な瞬間というものかもしれません。『イワンのむすこ』の物語には、そんなことを込めたつもりです。


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