中山千夏

中山千夏 おいる を いきる

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おいる を いきる

ある日、この言葉が飛んできた。蝶々みたいにひらひらと。あまり馴染みのない言葉なので、珍しい。見ていると、おもしろい。

おいる、は、ひらひら飛んで、たちまち、老いる、になる。驚いた。意味に反して、躍動的だ。生きる、にも似て、動きがある。そう活発ではないけれど、確かにじっとしてはいない。ゆっくりと、油が流れるように、動いている。

なるほど、おいる、は、オイルなのだ。老いる、は、生きて動いているのだ。流れるオイルみたいに、ゆっくりと。
老いる、という言葉には、老い、という形がある。老い、には動きが無い。じっとうずくまっている。おい、と呼んでも、応えない。生きる、には、こんな不活発な形は無い。おもしろい。

そうか、老いる、は、生きる、と同じ状態なのだな。老いる、は、生きることなのだ。老い、はゴメンだが、老いる、はいい感じじゃないか! なんだかわくわくしてきたぞ。うん、私は老いる私は生きる、老いてゆく生きてゆく……

そんな想念が、詩になった。題して『おいる』。一年ちょっと前ですかね。ひとりで老いるのもナンなので、仲間を誘いました。

海老原暎さん。美術の勉強をしたが、専業にはならなかった。ふつうに働き、ふつうに結婚し、ふつうに子育てし、今はふつうに老夫婦で母上の介護。

けれども、絵を描かずにはいられない、描きたい、となったら、描かないと気がヘンになりそう、だからずっと絵をやりながら、生きてきた。時に個展をし、美術館が蔵する作品もある。でも画家ではない、と言う。そんなひと。

夫君とやっていた工場をやめてから、伊東の荻に居を構えた。そんなこと知らないで、私も伊東に住んでいた。やがて、2011年3月11日がきて、私たちは出会った。原発は絶対にイヤ、そして、描かずにいられない(私は書かずにいられない)というところで、響きあい、友だちになった。

もちろん私は暎さんの作品の独特なテイスト、題材と描き方のどっしりした鋭さに感動しているし、暎さんはこのコラムを必ず読んで、ほめてくださる。創作的な気分がどこか通じるのだ。私より6年ばかり先を、しっかりと老いている。

『おいる』を共にするのに、これほどぴったりなひとがあろうか。詩を暎さんに見せると、すぐに勘所を捉えてくれた。詩を絵で説明するようなものではなくて、ついたり離れたり、それこそオイルのように流れあう詩画集にしよう、と意見もまとまり、暎さんは創作にとりかかった。

そして9月8日、やっと詩画集の姿になって、私たちの手に届いた。編集してくれたのは、私の絵本『どんなかんじかなあ』などを手がけてきた清水均さん。発行はハモニカブックス(1500円+税)。詩も絵も「老いるのは生きることだ!」といっしょけんめい言ってます。気が向いたら、開いてみてくださいな。

中山千夏(2016年9月21日伊豆新聞掲載「ただいま雑記」390回より)


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